寿司とラーメンの次はこの四皿
東京駅に降り立ったばかりの旅人に、「これから何を食べますか」と尋ねると、ほとんどの人が寿司かラーメンと答える。それはもちろん正解だ。けれど日本の食の奥行きは、そこで止まらない。湯気の向こうで出汁が踊り、炭火で照りをまとった魚がふっくらと膨らみ、鉄板の上でキャベツと小麦粉が香り立ち、丼の白いご飯の上に海や大地の物語が盛られていく。本稿では、そんな日本の“次の一口”として味わってほしい四皿――おでん、うなぎ蒲焼き、お好み焼き、そして丼もの――を、歴史と文化の背景から、実際にどの土地でどう体験するかまで、物語仕立てで案内する。読み終えたとき、あなたはもう箸を手に取っているはずだ。
日本の味を解く四つの鍵
日本料理を理解するうえで欠かせないのが「出汁」「炭火」「粉もの」「丼文化」という四つのキーワードだ。かつお節や昆布が溶け合ってつくる出汁は、旨味を骨格に変え、寒い夜の屋台から懐石料理まで温度と香りで旅人を包み込む。備長炭が放つ遠赤外線は、魚をふっくらと蒸し上げると同時に、表面に香ばしい焼き色をつける。戦後の混乱期に生まれた粉ものは、少ない材料から満腹と幸せを導く知恵の象徴だ。そして丼文化は、ご飯というキャンバスの上に多彩な具とタレを自由に描き、手早い一皿に凝縮された“日本のファストフード”を成立させた。これから紹介する料理は、それぞれがこの四つの鍵のいずれかと深く結びついている。
おでん――出汁でめぐる五つの風景
湯気の奥で静かに煮える大根を箸で割ると、雪の結晶のように出汁が溢れ出す。おでんはまさに、鍋の中に“小さな日本”が閉じ込められた料理だ。江戸時代、串に刺した豆腐を味噌で焼いた「田楽」がルーツとされ、幕末から明治にかけて屋台で供されるようになった。やがて関西では昆布の澄んだ出汁で具材をゆっくり含め、関東ではかつお節と濃口醤油で色濃く仕立てるなど、街ごとに味が分化していく。
東京で椅子に腰掛ければ、焦げ目を残す濃い色の大根やはんぺん、もちもちの「ちくわぶ」が迎えてくれる。夜更けには会社員の熱燗の湯気と混ざり合い、都会の冬を象徴する香りを放つ。一方、大阪や京都では、だし色が透ける淡い煮汁に、じっくり煮込んだ牛すじやたこが沈む。昆布の上品な旨味が素材を柔らかく包み込み、辛子ではなく柚子胡椒で食べさせる店もある。
静岡では「黒はんぺん」を串に刺し、鰹節の粉をふわりとかけて頬張るのが定番だ。屋台でビール片手にかじると、魚の旨味とだし粉の香りが口いっぱいに広がる。北陸・金沢に旅すると、車麩やバイ貝、冬季限定の香箱ガニが鍋を彩る。「カニ面」と呼ばれるその姿は、雪国の短い冬の歓びを凝縮したごちそうだ。名古屋では八丁味噌の赤茶色い煮汁に、こんにゃくや玉子が染まり、甘辛いコクが後を引く。
おでんは、寒い季節の11月から3月が最盛期。大根、玉子、地元の名物具材という黄金トリオを頼めばまず外さない。出汁を吸った具材を頰張り、残った汁を啜ると、その街の風土と時間の流れが舌の上で解けていく。
うなぎ蒲焼き――炭火とタレ、東西二様の妙味
江戸の町では「精をつける魚」として夏の土用にうなぎを食べる習慣が生まれた。職人は生きたうなぎを素早く裂き、串を打ち、代々継ぎ足す秘伝のタレをくぐらせて炭火にかざす。関東では背開きにした身を一度白焼きにし、蒸してから再びタレをまとわせて焼き上げる。その工程が骨と脂を和らげ、箸を入れた瞬間にふわりとほどける食感を生む。
新幹線で西へ向かうと、うなぎは腹開きに変わる。大阪や京都では蒸す工程を挟まず、金串を打って強い炭火でいきなり焼く。皮目がぱりっと香ばしく、中は肉汁を抱えたまま艶やかで、甘めのタレが香ばしさを引き立てる。関東のふっくらと関西のぱりっ、同じ材料でここまで食感が変わる料理はそう多くない。
愛知県へ足を伸ばせば「ひつまぶし」という独自のスタイルに出会う。細かく刻んだ蒲焼きをご飯に混ぜ、まずはそのまま、次に薬味を添え、最後は出汁またはお茶をかけてさらりと茶漬けに――三段階の味変でうなぎの奥行きを堪能できる。浜名湖周辺の静岡は日本有数の養殖地。温暖な気候と豊富な天然水が育むうなぎは脂が乗り、うなぎ専門の老舗が立ち並ぶ。
価格は丼なら三千円台から五千円台が相場、コースは七千円を超えることもあるが、職人が炭火と向き合う時間と技術に払う対価と思えば高くは感じないだろう。注文時には関東風、関西風と板前に好みを伝えると、会話の糸口にもなる。資源保護の観点から、信頼できる養殖業者と提携した店を選ぶことが旅人の礼儀でもある。
お好み焼き――鉄板に広がる粉ものの歓喜
薄く伸ばされた生地の上でキャベツがじゅわりと音を立て、豚肉が脂を落とす。鉄板の前に座ると、料理人のコテさばきが舞台のように始まる。お好み焼きは戦後の食糧難のなか、小麦粉を水で溶き、具材を混ぜて焼いた屋台の味がルーツだ。大阪では生地と具材をすべて混ぜ合わせ、“混ぜ焼き”としてふわりと仕上げる。仕上げにソースとマヨネーズ、青のり、鰹節がワルツのように舞い、皿の上で完成する。
広島に渡ると、物語は層を重ねる。薄く引いた生地の上にキャベツを山盛りにし、中華麺やもやし、薄切り豚肉を重ねて押し焼きにする。最後に卵を割って閉じ込めれば、断面が美しいミルフィーユのような“重ね焼き”が現れる。麺をそばにするか、うどんにするかで表情が変わるのも楽しい。
お好み焼きは季節を問わず楽しめるが、キャベツの甘みが増す冬は特に格別だ。大阪で頼むならまずは「豚玉」を、広島では「そば入り」を基点にトッピングを重ねたい。鉄板の前のカウンター席に座り、焼き上がる音と匂いを浴びながら、コテでそのまま切り分けて頬張る――それこそが最高の食べ方である。
丼もの――一杯に宿る小宇宙
真っ白なご飯の上に具材を一気に盛る丼ものは、日本のスピーディーな食文化を象徴する。江戸時代の屋台で生まれた天丼やうな丼が原型とされ、明治期には鶏と卵の親子丼が誕生。やがて地方ごとに独自のスタイルが芽生えた。
北の大地・北海道の函館朝市では、獲れたてのウニ、イクラ、カニが宝石のように盛られた海鮮丼が旅人を待つ。冬の荒波が育てる魚介は旨味が濃く、白飯と出会う瞬間に海そのものを食べているかのような多幸感が広がる。東京・日本橋人形町の老舗「玉ひで」では、軍鶏のだしを吸った半熟卵がとろける元祖親子丼が、昼の数時間だけ行列の先に現れる。
新潟では薄く叩いたカツを甘辛の醤油ダレに潜らせ、ご飯に重ねる「タレカツ丼」が郷土の味。福井市では「ヨーロッパ軒」のソースカツ丼が県民のソウルフードで、揚げたてのカツを特製ソースにくぐらせて何枚も重ねる豪快さが魅力だ。名古屋の味噌カツ丼は八丁味噌の濃厚なコクが揚げ物の香ばしさと溶け合い、食後に独特の甘みが尾を引く。
丼ものの価格帯は千円前後から二千円台、海鮮丼は旬の高級ネタを選べば三千円を超えることもある。注文はシンプルに「店の名前を冠した丼」を選ぶのが失敗がない。具材の組み合わせをカスタマイズできる店では、店員に「おすすめのトッピングは?」と聞くと会話が弾む。
食べ比べが旅になる
もし三日間で東と西の味を体感したいなら、初日は東京で濃口醤油の黒いおでんと蒸し焼きのうなぎを。翌朝の新幹線で大阪に移動し、昆布出汁のおでんと直焼きうなぎを食べ比べ、夜は鉄板の上で踊るお好み焼きを頰張る。中部をぐるっと回るプランなら、名古屋で味噌おでんと味噌カツ丼を味わい、静岡で静岡おでんと浜名湖のうなぎを堪能し、北陸・金沢で冬のカニ面入りおでんと日本海の海鮮丼で締めくくる。瀬戸内ルートも魅力的だ。広島のお好み焼きを皮切りに、岡山や香川でうどんや丼を挟み、神戸で関西風うなぎを楽しむ。どのルートも、移動時間の短さと味の変化のコントラストが旅を濃くする。
計画は“味”と同じくらい大切
おでんは屋台や大衆酒場が主戦場で、予約不要の場合が多い。ただし金沢のカニ面など旬の限定メニューは売り切れ前に訪れたい。うなぎ専門店は昼夜ともに予約必須の店が増えている。特に土用の丑の日近辺は早めの電話が望ましい。お好み焼きは行列覚悟の人気店でも回転が早いが、鉄板前カウンター席を希望するなら少人数での訪問が吉。丼ものは朝市や駅周辺なら早朝から開いているが、海鮮は天候に左右されるため、漁港の状況をSNSで確認すると安心だ。支払いは都市部ならクレジットカードや交通系ICが通用するが、屋台や市場では現金が心強い。動物性・魚介由来の出汁が苦手なら、事前にベジタリアン対応メニューの有無を確認したい。
旅先で役立つひと言
出汁は「だし、dashi」、蒲焼きは「かばやき、kabayaki」、牛すじは「ぎゅうすじ、gyusuji」。お好み焼きの“そば入り”は「soba-men」、丼ものの親子丼は「oyako-don」。この五つを口に出せば、注文はぐっと楽になる。言葉に詰まったら、料理の写真を指差して「これをください」と笑えば、日本の店員はたいてい全力で助けてくれる。
比べて感じて、旅は深まる
黒い出汁と澄んだ出汁、ふっくらとぱりぱりのうなぎ、混ぜ焼きと重ね焼きの食感、甘辛ダレと醤油ダレ――同じ国、同じ素材でも、調理法と気候と文化が交差すると、驚くほど多彩な表情が生まれる。四皿をめぐる旅は、日本の食の“奥行き”を知るための最短距離だ。次の休日、訪問都市と日程、そしてお腹の空き具合さえ決めれば、あなたの舌はもう日本列島を横断し始める。さあ、箸を携えて出かけよう。