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伊勢守
奥州市役所内にある水沢要害の唯一の遺物?
市役所は江戸時代に存在した水沢城(水沢要害)の三の丸に建てられている。その水沢城跡は駅に近い市街地にあり、平城であることも災いして、ほぼ完全に消滅しているといってよい。かつての水沢町や水沢市は財政難だったろうから仕方がないが、もう少し史跡というものを大事に保存できなかったのかと思う。江戸時代の城主は仙台藩伊達氏の一門・留守氏(水沢伊達氏)で、仙台藩の支城制(要害制)により水沢に配された。石高は1万6千石余、半ば独立した大名と言っても良い。石高に比して家臣は800人とやたらと多い。普通、この石高なら家臣は100人もいない。仙台藩は重臣に限らず、中級の藩士でも地方(じかた)知行制であるため、独立性が強く、他藩に比して家臣(伊達宗家から言えば陪臣)が5倍、10倍もいるのが当たり前だ。生産高に比して養う家臣が多いわけだから、主従共に困窮する。
水沢の貧乏侍の家から高野長英や後藤新平のような偉人が生まれたのも興味深い。長英の実父は後藤姓で、後藤新平とは時代が半世紀ほど違うが同じ一族である。
菊地修三
伊達(留守)宗利が水沢城主(要害)なって以降、留守氏が長きに渡り居住した❗️
姥杉は三の丸に植えられた当時の名残りです。
野口修志
この太さの杉、見応え有りました横に移された黒門も歴史感じますネ
さくらっち
ふるさと名所50景を探して♪この地にそびえ立つ姥杉に辿り着く🍁⠜
大学康宏
水沢伊達家の居城である水沢城跡を示す数少ない痕跡です。