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小林慶太
「千代田:松の大廊下跡」
忠臣蔵で有名な大変興味深い場所です。1701年3月14日、赤穂藩主の浅野匠頭が吉良上野介義央に斬りかかる刃傷事件が起きた場所です。
上野介は軽傷でしたが、殿中での刃傷はご法度であったので、内匠頭はその日のうちに切腹となりました。その後、赤穂藩は取りつぶしとなり、家臣たちは浪士となりました。
一方、上野介には御咎めはなく、お家の再興も退けられた浪士が大石内蔵助の頭に亡君の仇討を計り、1702年12月15日に吉良邸に討ち入り本懐を遂げました。
この事件の発端となった、松の廊下は本丸で二番目に長い廊下といわれ、西へ約19メートル、北へ約31メートル、幅は約5メートルであったと伝えられています。障壁画に「松」を主題にした絵が描かれていたことから「松の大廊下」と呼ばれていました。
高橋正和
本丸跡の左手の木立の片隅に「松の大廊下」石碑が建っています。ここが「忠臣蔵」の発端となった場所です。ここに、本丸大広間と白書院を結ぶL字形の廊下があった筈です。
障壁画に「松」を主題にした絵が描かれていたことから「松の大廊下」と呼ばれていた廊下で、本丸で二番目に長い廊下で、西へ約19メートル、北へ約31メートル、幅は約5メートルであったと伝えられています。石碑前の今の細い道の倍くらいはあった廊下、実際の場所に立つと、長い舞台のような場所だったと思うとイメージできました。「殿中でござる。」という有名な台詞がここで発せられた場所です。
Tadashi Yoshimura
2024年3月14日(木)に撮影。某解説:「江戸城の松の大廊下は、本丸御殿の大広間から将軍との対面所である白書院にいたる前兆50メートル、幅約4メートルほどの畳敷きの廊下でした。廊下に沿った襖(ふすま)に松と千鳥の絵が描かれていたことから、松の大廊下と呼ばれていました。松の大廊下は、元禄14年(1701)3月14日、赤穂藩主の浅野内匠頭長矩(あさの・たくみのかみ・ながのり)が高家衆筆頭(こうけしゅうひっとう)の吉良上野介義央(きらこうずのすけよしひさ)に斬りかかる事件が発生した場所として有名です。」
小塚山六所
番屋を除き、ひしめいていたであろう建物は何もなく、公園としては単調だ。松の廊下や大奥を再現してほしい。
Mr_hige
特に建物が残っているわけではないので、特別な思いが出てくるわけではありませんが、思わず
「殿中でござる」といいたくなります。