大津城から移築されたといわれ、政治的象徴としての外観の美しさだけでなく、城本来の機能である軍事面でも優れています。昭和27年(1952年)に国宝に指定。
彦根城以外の国宝天守は、姫路城・松本城・犬山城・松江城だけです。
江戸時代初期、現在の彦根市金亀町にある彦根山に鎮西を担う井伊氏の拠点として築かれた平山城(標高50m)。山は「金亀山(こんきやま)」の異名を持つため、金亀城(こんきじょう)とも呼ばれた。多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城であった。
城の形式は連郭式平山城。本丸、二の丸、三の丸と北側に山崎曲輪が配置された。御殿は二の丸に置かれた。本丸に天守、西の丸と山崎曲輪に三重櫓が建てられた。山崎曲輪三重櫓は明治初期に破却された。なお、城の北側には玄宮園と楽々園という大名庭園が配されており、これらは「玄宮楽々園」として国の名勝に指定されている。玄宮園、楽々園はかつて松原内湖(戦中・戦後に干拓)に面しており、入江内湖も望める絶景であった。
天守閣からの琵琶湖の眺めは最高です。
彦根城は西国大名の防衛のための城であったため、防御のための工夫がされている。狭間は外から見えないように作られ、階段は敵を上から突き落せるように急角度(最大62度)であり、また蹴って落とせる構造であ
西の丸の西に建つ櫓で、さらに西に張り出した出曲輪との間に深い堀切が設けられています。西方の搦め手(裏手)からの敵に備えた守りの要でした。三重櫓は、この搦め手を見下ろす位置に設けられ平時には琵琶湖を監視する役目もありました。
2024年9月14日

天守は3階3重の屋根で構成されています。屋根は「切妻破風(きりづまはふ)」「入母屋破風(いりおもやはふ)」「唐破風(からはふ)」を多様に配しており、2階と3階には「花頭窓(かとうまど)」、3階には高欄付きの「廻縁(まわりえん)」を巡らせるなど外観に重きを置き、変化に富んだ美しい姿を見せています。

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